寺報「月照」第10号

平成20年 元日

慕古心

◆道元禅師さまからのメッセージ
「人生に定年はない」

人生に定年はありません
老後も余生もないのです
死を迎えるその一瞬までは人生の現役です
人生の現役とは自らの人生を
悔いなく生き切る人のことです
そこには「老い」や「死」への恐れはなく
「尊く美しい老い」と
「安らかな死」が
あるばかりです

◆慕古心(もこしん)について

時を超えて、人を超えて、語り、受け継がれ、
伝えられる「真実(本当のこと)」は
永遠に輝いて、いつも新しいのです。
道元禅師は、現代を生きる私たちに、
「真実(本当のこと)」を
たくさん教え示してくださっています。
そのひとつひとつを学び、
実践することを
「慕古心」というのです。
「慕古心」とは、「永遠の真実」を
探し求めることであり、
「道元禅師からのメッセージ」は
そのための羅針盤に他なりません。

月照寺梵鐘の由緒

 当山の梵鐘は、昔から国土安穏、万民豊楽、海上安全の祈願をこめて打ち鳴らされ、明石では海を渡る鐘として広く知られています。従前の梵鐘(四百八十貫)は昭和十八年、戦時供出してこれを失い、この度皆様の絶大な御協力を得て昭和五十三年に再鋳し、鐘楼も再建しました。
 東経一三五度日本標準時子午線上にあり、県下随一の大梵鐘で八三〇貫、一撞余韻は三分半に及び海峡に響き渡る。京都太秦、岩沢宗徹が精魂こめて鋳造した梵鐘です。

新年のご挨拶

 新年を迎え、謹んで新春のお慶びを申し上げますとともに、檀信徒の皆様のご繁栄とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
 さて、本年は永平寺三世徹通義介(てっつうぎかい)禅師七百回ご遠忌に当たります。
 徹通義介禅師様は其の初め、高祖道元禅師様のもとで、典座(てんぞ)という、永平寺において修行僧の食事を司る大切な役目に就かれました。徹通禅師は、道元禅師より仏法の大事を承けつがれました。道元禅師は、その典座職の心得として典座教訓という教えを書き残されており、その中に、喜心・老心・大心という三つの心が示されております。永平寺貫首宮崎奕保禅師様は、ご遠忌にあたり三心(さんしん)に学ぶを主題におかれました。
 ”喜心“とは、喜び感謝する心、人間に生まれてきたことをまず喜びなさいという”喜悦の心“
 ”老心“とは、祖父母が孫を、あるいは両親が子どもを愛するような”慈悲の心“
 ”大心“とは、かたよらない”寛大な心“
 道元禅師は、この三つの心が、典座職はもとより、禅宗寺院のどの職務においても最も大切なものであるとしていますが、出家者ばかりでなく、誰もがもちたい心であります。
 私たちは普段、なにげなく食事をし、なにげなく日々を送り、いちいち感謝することなど、なくなっているのではないでしょうか。
 以前では食事をするときには必ず「いただきます」「ごちそうさま」と言っていたものですが、最近ではそれすらおろそかになりがちです。
「いただきます」とは、魚や野菜などの命をいただきますという感謝の気持ちです。たしかに食事の前に「いただきます」と手を合わす動作には、感謝の心が込められています。家族が一緒に食事をする機会が減り、個食、孤食といったスタイルが増えてきたと言われて久しいですが、どのような状況であろうと、せめて食事に感謝する気持ちは忘れないでほしいものです。
 最後になりましたが、わたくし、一昨年の十月に、曹洞宗管長様より、当山二十七世住職に任命されました。
 もとより浅学非才の身ではありますが、精進努力を重ね当山の法灯を末永く護持してまいりますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
 平成20年元旦

合 掌
月照寺住職 間瀬和人

永代供養墓建立

かねてよりの懸案でありました永代供養墓が去る平成19年9月15日彼岸法要の後、
檀信徒約70名の参列の中、
和人住職導師のもと、開眼供養が厳修されました。

永代墓は、次のような方など、
ご安心してお参り頂けるお墓となります。

◆先祖より代々受け継いでこられた
  お墓の後継者がおられない方
◆配偶者がおられない方。お子様がおられない方
◆配偶者や遠縁の直系に後継ぎがいないため、
 「いつかお墓が、無縁墓になってしまう」と心配されておられる方
◆親や配偶者のお墓は建てたいが、
 「先で無縁墓になってしまう」と心配されておられる方

お墓のある方も、これからお墓を建てられる方も、
安心して何十年もお墓参りをしていただき、
その後、お墓参りが難しくなった時点で、
当寺が永代供養墓に合祀して、永代にわたり
故人の供養と管理を致します。

▲ 供養塔内にお釈迦様が鎮座されています。

永代供養墓のお申し込みは、平成20年3月1日より開始いたします。
詳細につきましては、電話にてお問合せ下さい。
月照寺寺務所 (078)911-4947

大本山永平寺参拝記
平成19年5月26~27日

 平成十九年五月下旬、旅は一泊(宿坊)二日に亘りました。前日夜来の雨もあがり、五月晴に恵まれた素晴らしい旅になりました。早朝、月照寺を出発、バスは暫時、琵琶湖に沿って北上。雨上りの山々の濃い緑に、バスも人も押し潰されそうです。バスはひた走りに走り続ける。
  日本海が見えてきた。旅の解放感からか喚声があがった。瀬戸内海では見れぬ絶景です。敦賀辺りから越前海岸に沿って東行、私達は永平寺への路を辿るのでありました。旅の愉しみ「より道」。特産グルメランチ、屈指の名刹、瀧谷寺、全昌寺を拝観、永平寺に着いたのは夕暮時でした。
  永平寺は幾度訪れても摩訶不思議な雰囲気を醸し出す。七〇〇年大樹の奥深い森、それに囲まれた七堂迦藍、稀にきこえる特有音響の鐘の音。日常作務に無言で甲斐甲斐しく勤しんでいる雲水(修行僧)達は、まさに動く坐禅をしているかのようだ。人は目に見えないものを拾っては重い荷物にして歩いていると言う。良悪のものを選別して快適人生にしてくれるのも永平寺である。
  私達の体験修行は雲水の誘導で行われる。到着直後、跋陀婆羅菩薩が見張る浴室で入浴。俗人の心身を清めて精進夕食につく。経句”五観の偈“を唱和、食することに感謝し食を口に運ぶ作法なのだ。食後、永平寺慨要のビデオ鑑賞。食が胃に収まると坐禅。皆々、お行儀がよくなる。時間が経つほどに所々で警策の乾いた音がきこえる。心の動揺が体形を崩すのを矯正するためだ。その都度、合掌一礼する。高僧の法話を聞いて初日は終った。消灯は二十一時、深閑とした宿坊で床につく。興奮してかなかなか寝付けない。永平寺の思い出が脳をよぎる。キラキラした少年時代、父に手をひかれ永平寺に参拝した思い出、母が毎朝唱えていた御詠歌の鈴と鐘の音、この父、母、も逝って半世紀が過ぎた。瞑想にふけりながら眠りについた。

 うちまかせ を身をも永平寺 浮世の塵は あとかたもなし
(梅花流詠賛歌集より)

 翌日は早朝三時すぎ起床、長い回廊を踏んで法堂に辿りつく。すっかり眠りがさめる。ここで朝課、法要に参列する。約二五〇人の高僧、修行僧の一糸乱れぬ読経の大合唱は想像を絶する響きだ。宇宙からのメッセージのようだ。読経は参列者先祖様の回向供養へと続いていく。胸の鼓動がきこえる。
 ”神戸石黒家先祖代々…“私は驚天動地に遭ったようで両手合掌の数珠が千切れそうになった。法堂をはなれ廊下を渡りながら感慨に浸る。石黒家之祖、万治元年(一六五八)以降三五〇年各々の先祖供養をする己を自讃する。この体験修行に格大の意義があったのだ。
 雲水さんの説明付きで諸堂拝観。法堂での緊張はすっかり和らいだ。傘松閣の天井絵二三〇枚、花鳥草木絵、異なる五枚の絵、獅子、鯉、リスを探す皆々は、すっかり童心に還っている。大庫院の超大摺りこぎ、鎮座する韋駄尊天逸話等々や、修行集団は後をたたない。永平寺特別精進朝食をいただき今回の体験修行は終ったのであります。山門に立ち、修行を体験できたことに感謝す。心こめて一礼合掌。永平寺正面の大門柱に刻みこまれた漢字十文字の意味を、間瀬元道老師にききながら帰路についた。達成感(意義不明の心理)で皆々満足していた。

杓底一残水  汲流千億人
(永平寺正面門柱より)

  「旅のより道」は旅に添えられた花だ。産地の食味に舌鼓、空腹を癒やす。皆々満面笑顔になる。名勝、枯山水庭園は青苔一面の滝谷寺。一幅の日本画だ。観音堂諸堂をひき立てている。加賀全昌寺は曹洞宗、庭園に芭蕉の句碑がある。ゆかりの寺だという。圧巻は羅漢堂に鎮座している古色蒼然たる五百羅漢像だ。各々個性ある姿は表現のしようがない。戦国時代の戦火をくぐってきたという。歴史の重みを痛感する。帰路のバスは九頭竜川沿いに走る。渓谷の清流は川端康成の”美しい日本の私“を思わせる。道元禅師の和歌も引用されている。素晴らしい眺望だ。

 春は花 夏ほととぎす  秋は月 冬雪さえて  冷しかりけり
(道元禅師)

  途中、平泉寺(白山神社)拝礼。寺か神社かわからない。博識自称の某氏は大師が白山に登った時、神のお告げでイザナギのみことを祀るという。岐阜県に入る。長良川を渡れば郡上八幡だ。古い町並み、城、湧き水、宗祇水、郡上盆踊りで有名。皆々少々疲れ気味。古しえの町並みを散策して腰をのばす。再びまた「楽しての修行はないッ」と声がかかる。皆々大笑い。かくして厳しくも愉しかった旅は終わりに近づいた。東海、名神、阪神高速を経て月照寺地点についたのは十八時頃。思い出話と土産を持って家族待つ我が家へと帰ってゆくのでありました。私の土産は”心の進化という玉手箱“箱を抱えて佛間の大鏡前に立つ、自分の存在感を強く意識し、この旅の意義を感得したのであります。主催の月照寺さんはじめ同行の皆さんに感謝しながら筆を置きます。

合 掌
垂水 石黒くにお

月照寺  平成19年の記録

寺宝を明石市立文化博物館に寄託
(平成19年2月4日)

月照寺に伝わる古文書及び重要文化財指定の「櫻町天皇宸翰短籍」等の寺宝類を明石市立文化博物館へ寄託致しました。

先住忌(平成19年4月7日)
二十五世碩禪老師十三回忌、二十五世寺族間瀬民子七回忌の法要を月照寺本堂にて執り行いました。

境内の清掃(平成19年7月22日)
護持会発足以来、毎年境内の清掃を行っております。八月六日の初盆大施食会の前に護持会役員で表参道及び西坂の灌木や駐車場の雑草を刈り取り、お盆の準備をしました。

本堂正面階段に手すりを設置
(平成19年8月22日)

本堂正面階段の中央に取り外し式の手すりと踏台を造りました。どうぞご安全にお参り下さい。

和の世界にひたる
(平成19年10月14日)

和文化の輪~縁のひろがり~を開催し、琵琶、三絃、和太鼓、横笛そして阿波踊りなど、賑々しく和文化を楽しみました。

お十夜法要前の法話
(平成19年10月25日)

龍光院住職稲本素童老師の「お釈迦様のおしえに生きる」を判り易い言葉で大変興味深く聞かせていただきました。

日本語の中の仏教 其の2
ちりも積もれば 山となる

 「毎日、少しずつ貯金していたら、貯金箱がこんなに重くなったよ」
「ちりも積もれば山となる、だね」  こんな使い方をする、このことわざも、もとをたどれば、仏教に行きつきます。
『大智度論』という仏教の本の中に、次のような文章があります。
「仏教のさとりからはなれた、だらしがない生活をしていると、その結果、ついにさとりを得ることはできないだろう。
 小さなちりを、ひとつひとつ積んで山にしてみると、動かすことができなくなる。それと同じように、だらしのない生活は、少しずつちりのように積もって、やがて動かすことができない山になり、さとりのじゃまになる」
 この「ちり」は、もともとは、だらしない生活のたとえだったのです。
「このくらいだったらいいや」そう思って、わずかずつでも、だらしがない生活を続けていると、豊かな心をいつの間にか失い、取りもどそうとしても、ちりは、山のようになって、動かなくなってしまうのです。
 でも、積もるのは、何も「ちり」ばかりではありません。
 私たちの知識や経験も積もっていくのです。
 きちんとした生活を、毎日少しずつでも続けていくと、やがて勉強もスポーツも実を結ぶのです。 さあ「ちりも積もれば山となる」です。毎日少しずつ、少しずつ、コツコツ積み重ねていきましょう。

ホームページを開設

 前号でお知らせしました当寺のホームページを平成十九年九月に開設しました。
 当寺の紹介や地図、同じ時期に建立された永代供養墓の案内など基本的な内容ではありますが、是非一度ご覧になって下さい。 http://www.hitomarusan-gesshoji.jp

JTB”梅見どころ特集“に掲載

 昨年に引き続き、大手旅行代理店JTBの「JTB梅見ごろ特集」に、当寺の「八房の梅」が全国の中から選ばれ、紹介されています。
 掲載期間は、平成十九年十二月から平成二十年四月の予定です。
機会があれば、是非ご覧下さい。
八房の梅(本堂正面)
 赤穂四十七士の一人、間瀬久太夫正明が大石内蔵助良雄と共に当寺に参詣して、素願の成就を祈り、持参の鉢植の梅を手植したのがこの梅です。
 この梅は一つの花にハつの身がなるので「八房の梅」と名づけられています。
http://www.jtb.co.jp/season/winter/ume

<平成20年>

1月1~3日新年祈祷(修正会) 本堂/毎朝
元旦から三日までの毎朝、平穏無事な一年でありますようにと祈願いたします。
3月15日(土)春彼岸会法要 本堂/12時受付
◆13時~法話
◆14時~法要
この世を越えた彼岸に想いをめぐらし、亡き人を偲んでご供養いたします。
3月31日(月)大般若祈祷法要  本堂/12時30分受付
◆13時30分~法話
◆14時30分~法要
大般若波羅密多経六百巻を転読し、檀信徒各家の諸願成就を祈願する法要です。
5月30日(土)
6月1日(日)
大本山永平寺参拝
年に一度の本山へ皆様お揃いでお参り致しましょう。
8月6日(水)初盆大施食会 本堂/8時開経
初盆を迎えられる新亡の仏様のご供養はもとより、
ご先祖、無縁の仏様にもご供養する法要です。
8月23日(土)
8月24日(日)
地蔵盆 千躰地蔵尊前
◆18時~
子ども達の純真な心を見守っていて下さるお地蔵様を
子ども達でご供養する法要です。
9月13日(土)秋彼岸会法要 本堂/12時受付
◆13時~法話 
◆14時~法要
この世を越えた彼岸に想いをめぐらし、亡き人を偲んでご供養いたします。
11月1日(土)首座入寺式 本堂/午後
修行僧の先頭に立つ「首座」という役がおかれる儀式です。
11月2日(日)晋山式 本堂/午前
新住職のお披露目の就任式です。
退董式 本堂/午前
新しい住職に譲り、自ら退山する儀式です。
首座法戦式 本堂/午前
首座が住職に代わり、禅間答を交わす儀式です。
12月31日(水)子午線燈花会・除夜の鐘  鐘楼/22時受付
◆23時~撞鐘開始(受付22時)
鐘つき志納 金1人500円以上 (全額社会福祉に寄付)
「行く年」を省み、「来る年」の決意を新たに。

当寺は子午線上の人丸観音堂に高さ三メートル、廻り二・六メートル。区切られた升目が九八〇個、升目毎に観音様を収め、豆球が全部点燈される華麗な光明燈を安置しております。この一区画を皆さまのお申し込みにより提供し、区画毎にそれぞれご氏名を掲げ先祖供養、水子供養、家内安全、学業祈願等、あらゆる願い事を祈願します。ご祈願の主旨に沿って一年間を通じ毎朝のおつとめのおりにお回向させて頂きます。
尚、供養料は一ヶ年五千円です。ご希望の方は同封の払込通知票でお申し込み下さい。

お願い●市町村合併にともない住所に変更がございましたらお知らせ下さい。