緑に包まれた銀色の瓦、大きな伽藍、
それが道元禅師の広めた曹洞宗、人麿山月照寺です。

JR明石駅の東へ800m、北側の小丘に明石市立天文科学館があり、日本標準時大時計塔が高く聳(そび)えている。
その背後、緑に包まれた銀色の甍(いらか)、大きな伽藍(がらん)、それが道元禅師の弘めた曹洞宗、人麿山月照寺である。
今を去る1200年ほどの昔、弘仁2年(811年)弘法大師 空海が明石の岡、赤松山(現在の明石城祉)に湖南山 餘鵜楊柳寺を創建した。仁和3年(887年)楊柳寺覚証和尚は、大和の柿本山 広安寺より人麿念持仏であった船乗十一面観世音を勧請して奥の院に奉祀し、寺号を月照寺と改めた。天正2年(1574年)真言宗から曹洞宗に改宗。元和7年(1621年)明石築城によって境内が城地となり、翌8年(1622年)人丸社、月照寺の新殿が現在地に竣工した。延享元年(1744年)山号を人麿山と改め、明治4年(1871年)神仏分離令により人丸社は月照寺より分離して柿本神社となった。
その間、江戸時代には太平が続き、歌道が栄え、人麿信仰が高まり、享保8年(1723年)人麿1000年祭には人丸社に、「正一位 柿本大明神」の神位神号が宣下せられ、当寺は永代勅願寺となり、霊元上皇から三十六歌仙式紙(明石市指定文化財) 桜町天皇から一座短籍(旧国宝・重要文化財)後桜町天皇から短籍等が奉納され、その後も文人墨客の来訪絶えることなく、書画の寄進も多い。それらの大部分は、明石市立文化博物館にて保存されています。 昭和47年(1972年)には、人麿1250年祭が盛大に行なわれ、全国より和歌、俳句が夥しく献詠(けんえい)せられ、尚、月照寺々伝、万葉人の自然観、 芭蕉俳論等大部の出版がなされた。

住職の紹介

間瀬和人住職(二十七世)
曹洞宗 本尊/釈迦如来