大本山永平寺参拝記
 平成二十三年五月二十一日〜二十二日の一泊二日・月照寺主催の大本山永平寺参拝の旅に、お誘いを受けてお参りさせて頂きました。今回が2回目の感動の永平寺参拝です。
 前回は父を亡くした年に行きました。悲しみの中、バスの道中では楽しい会話や当時の間瀬元道住職、間瀬和人副住職の説明、奥様の温かいお見送りに励まされて、素晴らしい道元禅師のゆかりの名刹に訪れて、
歴史ある仏像や絵画を拝見させて頂き、本当に今でも思い出として輝いています。また、機会があれば是非訪れたいと思っていました。今回は、少し体調を崩した中でしたが、日頃のお祈りが効を奏したのか…?月照寺主催の大本山永平寺の素晴らしい旅にお供できた事は涙が出るほど、嬉しい修行旅行でした。バス会社の方を先頭に、心より感謝させて頂きます。
 また、お世話係りの檀家の皆様に至っては修行を積んだ先達がおられて、大本山永平寺に宿泊した時は、修行僧に喝を入れるような目で接しておられる姿は私としても今後の参考にさせて頂きたいと若輩者ですが思っています。バスの中では和気あいあいで、この紙面では紹介できない事もたくさんありました。また、今年は3月の東日本大震災の影響が大きく、永平寺参拝者が少ないというお話です。この場をお借りして少しでも早い復興をお祈りさせて頂きたいと思います。
 朝、バスは月照寺を出発、最初に「彦根・清涼寺(井伊家菩提寺)」に到着。江戸時代には各所から雲水が集まって修行されてきたという由緒正しいお寺です。しかも女性の修行僧の方の説明を受け、座禅堂やここでしか見れない美しい花々を見て感銘しました。そして、ドライブ・インでご馳走を頂いて北陸道に入り「螢山禅師のご生誕の地である武生・誕生寺」です。ここでは、残念ながらお会いできませんでしたが興宗和尚の代理の雲水さんとバスで一緒の皆様と読経を唱え、素晴らしいお話をして頂きました。螢山禅師様といえば一日お粥一杯で、すさまじい修行をされた方だそうです。その後「伝光録」としてまとめられた。そして、横浜の總持寺の建立に至ったそうです。
 そして、いよいよ一路、永平寺です。雲水さんの説明を受けて部屋が決まり、お風呂、夕食です。食事も修行という事で「五観の偈(げ)」を唱えて頂きました。道元禅師様の正法眼蔵の教えを少し実践できたかも知れません。その後、座禅堂での修行です。足が痛いとは言えない、ありがたい思いでいっぱいでした。永平寺でしか体験できない今回の旅行は、貴重なものだと思います。引き続いて本堂で修証義のお経が流れ、焼香の時は涙が出る程、感動しました。その後、一般では入れない「吉祥閣」での記念撮影や雲水さんの貴重な絵画や門前の阿吽の意味を説明して頂いて、深く感動致しました。また、永平寺本山でしか購入できない数珠を購入しました。(お線香もあるそうです。次回は是非購入したいと思います。)
 朝の食事が終わってバスに乗ろうと思ったら凄い雨です。これも仏様がもしかしたら今回の東日本大震災の被災者の事を思って、泣いていらっしゃるのかなと思った次第です。大雨の中、一路バスは名古屋へ。到着すると不思議に雨は上がって天気が回復しました。仏様のご加護だと思います。お昼は、素敵なホテルのレストランで地元の食材を使ったお料理です。(何故か食事の事ばかり書いていますが…。)
 次に向かったのは「日泰寺(釈迦遺骨安置)」です。ここでは宗派にとらわれない姿勢で仏道修行をしておられる雲水さんが座禅堂、掛け軸、ご本尊様を案内して頂きました。どれも心に染みる逸品です。素晴らしい体験でした。また、釈迦堂(別院)では雲水さんが温かく見送って頂いて心より感謝の念で感涙致しました。
 月照寺に関わる全ての関係者、間瀬元道東堂、間瀬和人住職、奥様、お世話係り、檀家の皆様の本年のご多幸を祈り、新年の挨拶とかえさせて頂きたいと思います。


「月照寺明石柿本社奉納和歌集」を出版
 奉納和歌研究会の鶴崎裕雄氏(帝塚山学院大学名誉教授)・神道宗紀氏(帝塚山学院大学教授)・小倉嘉夫氏(大阪青山短期大学准教授)の三氏が十年余の歳月をかけ編集された学術的労作です。三人の先生方へ厚くお礼を申し上げます。
「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れゆく舟をしぞ思ふ」……
月照寺は明石城本丸の地にあって平安時代のはじめ、弘仁三年(八一二)空海(弘法大師)が揚柳寺を建てたのが始まりです。その揚柳寺が後に月照寺となるのです。
仁和のころ(八八五?八八九)和歌を好んだこの寺の住職覚証が夢のお告げに従って柿本人麻呂を祀り、人丸社が出来ました。(現在明石公園城跡に建つ、西の隅櫓の前に円形の人丸塚があります)
江戸時代の初め、このように月照寺には人丸社がありました。こうした神社と共存する月照寺のような寺院を宮寺又は別当寺と呼びます。江戸時代の初め元和五年(一六一九)明石公園本丸跡にあった人丸社は現在の月照寺と柿本神社のある人丸町の地に移転しました。
明石城を西国の大名の押さえとなる本格的な城郭にしようという幕府の方針に基づくものです。幕府の命により元和三年(一六一七)人丸山に新城を築くこととなり、このため月照寺と人丸社は現在地に移転させられたのです。
移転にあたって人丸社別当坊月照寺に対し藩主小笠原忠政(忠直)の意向を伝達する執達状が出されています。現在では明石市立文化博物館の常設コーナーに展示されています。
享保八年(一七二三)人麻呂に「正一位柿本大明神」の神位神号が贈られると人丸社と月照寺は天皇や公卿たちが競って詠歌を奉納し文人や武士、町人も訪れて和歌の奉納が盛んに行なわれるようになりました。
翻刻された史料は、月照寺に奉納された和歌、縁起、祠堂碑銘ほか御祈祷、書状類が四部に分類され解題が付されています。
今回本書の序文に冷泉家当主冷泉為人様から 翻刻本「月照寺明石柿本社奉納和歌集」出版を祝賀して の寄稿を頂きました。深く感謝しているところです。
この三月十七日(土)の春彼岸法要の講演会に鶴崎裕雄先生のご厚意でお話していただけることになりました。お楽しみにしていて下さい。
中村 元

560ページ 書店価格10,500円(税込)
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