この度、月照寺様恒例の檀信徒研修四国方面旅行に初めて参加させていただきました冷泉寺です。
今回の研修は天候に恵まれバスの車内も和気あいあいとして楽しく、この雰囲気は和人住職の人柄と長年の檀家様への布教活動の成果であると感心いたしました。最初は徳島県の曹洞宗一万五千ヶ寺の内九番目の古刹、城満寺の参拝。生憎住職は不在にてビデオレターでの相見で残念でしたが落ち着いた良い寺でした。高知の土佐御苑での宴会は大変盛り上がり名物の鰹料理を美味しく戴き楽しいひと時を過ごしました。改めて檀家様の結束の強さに感心いたしました。翌日は土佐山田の予岳寺の参拝、住職の浜田裕禅和尚は少々頑固なるも、いつも元気よく活動的で素晴らしい発想力の持ち主、今回も山門にコイン式自動音楽装置を設置され、住職の素晴らしい法話、昔懐かしい音楽、我々に宗教の原点を思い起こさせていただきました。桂浜、淡路島の観光を経て全員無事楽しく帰らせていただきました。今回はありがとうございました。また参加させて頂きたいと思います。

冷泉寺住職 間瀬寛道

  





機 嫌   きげん


 機嫌が悪い、ご機嫌いかが?などのように用いる「機嫌」は、相手の気持ちやようすなどを聞くときに使いますね。
 これは、もともと「譏嫌」と書いていました。「譏」は「悪く言うこと」、「嫌」は「嫌うこと」です。今の意味と、まったくちがいますね。
 古代インドのおぼうさんたちは、食べるものや、修行するための建物などを、人びとのたすけによって得ていました。修行をいっしょうけんめいするためです。人びとは、修行するおぼうさんたちから、生き方や心についての話を聞くために、いろいろなたすけをしたのでした。
 おぼうさんと人びとには、ゆたかなまじわりがありました。
 ところが、修行をわすれて、ぜいたくをするおぼうさんが出てくることがありました。とうぜん人びとは、そのおぼうさんを、そしてお坊さんのグループを悪く言い、嫌うようになってしまいます。
 そうなってしまうと、人びとのたすけもなく、修行を続けることができなくなり、なによりゆたかなまじわりがなくなってしまいます。
 そこで、おぼうさんのグループでは、人びとの気もちを考え、ぜいたくなどをみずからいましめる決まりをつくりました。ゆたかなまじわりがたもたれるようにしたのです。
 この「人びとの気もちを考える」から「相手の気持ちやようす」を意味するようになり、感じも「譏嫌」から「機嫌」へと変わっていったのです。





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