月照寺の山門は、明石城築城に際し、元和四年(一六一八)に初代城主小笠原忠政が徳川秀忠から伏見城薬医門を拝領し、切手門と称して城主の居所の正門であったもので、明治六年(一八七三)に当時の経費で五十三両余を要して移築されたものです。



 城主の居所の正門が月照寺の山門となった背景には、明治四年(一八七一)に神仏分離令により柿本神社が分離するまでの人丸社・月照寺に対して、十七代にわたる明石城主の内、初代を始め、八代もの城主によって、本社の屋根、鐘楼堂、燈篭堂などの再興や種々の寄進、奉納がなされてきたことなど、各代の城主との繋がりが深かったからではないかと伝えられております。山門が城跡に向けて開けられているのも何らかの心情の表われではないでしょうか。




 このようなこともあってか、由緒ある山門として代々の檀信徒の皆様と共に大切に守り続けられてきており、近年では薬医門の建造より四百年余を経た昭和五十年(一九七五)に山門の補強工事を行っています。これにより、明石市が震度六にみまわれた平成七年(一九九五)の阪神淡路大震災のときでも、四脚門の屋根が柱から大きくずれたものの崩落することなく済み、市の文化財担当の指導のもとに復元・補強工事を施して今日に至っています。
 山門は、現在も創建当初の容姿を保っており、当時の豪壮な雰囲気をただよわせている明石城の遺構として数少ない建造物であり、明石市指定文化財にもなっています。
 本年は明石城築城四百年にあたることから、城主の居所の正門としての風格をさらに醸し出せるように、山門前周辺の環境整備を行ってまいります。八月お盆までには竣工する予定です。

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 この度、「東の駐車場水汲み場横」と「西坂通り入り口」の二箇所に花がらステーションを設けました。花がらは お手数ですが花がらステーションにて処分下さい。
 尚、野犬、カラス、イタチが墓所を荒らし、汚します。危険でもありますのでお供え物は必ずお持ち帰りくださいますようご協力をお願いいたします。







 檀家の故 加藤博様が自作された
法隆寺 五重塔一五〇分の一スケールの模型を
昨年ご遺族様からお寺に寄進していただきました
お寺の玄関横に展示しております





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