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 枯れることのない霊泉で万病にきくといわれる。水盤は「享保四年常陸(ひたち)国飯塚宣政(よりまさ)氏の寄進である。


 伏見城の薬医門 明石城の切手(きって)門として二役を果し、明治初年ここに移された。秀吉建立の歴史をきざむ豪壮な風格の山門である。
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小さな干体の地蔵尊があって、安産授子の霊験頗るあらたかでおかげを受けた人は地蔵尊を一躰ずつ奉納する。

水子供養のために建立された地蔵尊で毎日香華が絶えない。


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  山門内庭に洗心水の地があり、水琴窟が妙なる音色を奏でている。その池の傍らに、北村西望氏作の人丸観世音菩薩の立像が安置されている。この尊像は身丈2メートル10あって月照寺の鎮守神、柿本人麿にちなんで「人丸観音」と名付けられた。この尊像を寄進したのは檀家の(故)梅沢きよのさんであります。

 特に視力の弱い方にお救いの誓願をお持ちの観音さまです。この尊像は、仏師西村公朝先生の作です。
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赤穂四十七士の一人、間瀬久太夫正明が大石内蔵助良雄と共に当寺に参詣して、素願の成就を祈り、持参の鉢植の梅を手植したのがこの梅である。この梅は一つの花に八つの実がなるので「八房の梅」と名づけられた。
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 総建坪400坪余。この地に移転以来、380年の風雪に耐え、桃山建築様式の遺構を伝えておりましたが、平成7年におきました阪神淡路大震災で全壊。3年後の平成10年に再建。屋根瓦は菊の紋で、勅願寺として栄えた歴史を伝えている。本堂は日本標準時子午線上にある。


 当寺開山安室春泰大和尚ほか歴代の住職をお祀りする御堂で、
現、間瀬住職は27世である。


 昭和54年再建。人麿念持仏、海上波切船乗十一面観世音菩薩を安置し、明石海峡を往来する船の海上安全を守っています。この像は聖徳太子の御作、持統帝の念持仏で、人麿が帝から賜ったものです。波を切る船に乗った観音立像1.7メートルで60年に一回開扉し、平素は秘仏である。


 従前の梵鐘は昭和18年、戦時供出。昭和53年再建した。東経135度日本標準時子午線上にあり、県下随一の大梵鐘で830貫(約3.1トン)、一撞余韻は3分半に及び海峡に響き渡る。京都太秦(うずまさ)、岩沢宗徹が精魂こめて鋳造した。


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ともしびの明石
大門に入らむ日や
漕ぎ別れなむ
家のあたりみず
人 麿

 昭和47年、人麿1250年祭記念に建立された。 明石在住の書家、(故)池内艸舟(そうしゅう)筆。

影清し 月は明石の
うらなれや 干艸女

干艸女はもと国会議員、田中源三郎の曽祖母、名は「ちい」で俳人。明治30年に建立された。


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